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『仲良くしなさい』と『仲良し』『仲良く』を強要する、特殊な日本の文化や風習はただちに無くすべき【嫌いなら嫌いでもいいし、嫌われているなら嫌われていてもいい】

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どうして、仲良くしないといけないのか、疑問に感じながら、大人になりました。

無理なんてする必要はない。

今日は、仲良くしなさいと強要する日本文化についてお話します。

『仲良くしなさい』と『仲良し』『仲良く』を強要する、特殊な日本の文化や風習はただちに無くすべき【嫌いなら嫌いでもいいし、嫌われているなら嫌われていてもいい】

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仲良くしなさい』と『仲良し』を強要する、特殊な日本の文化や風習が、嫌で嫌でたまらない。

私は、日本で生まれ育って、途中、海外生活を経験もし、いろいろな国も見ています。

おそらく、私が見た海外の中で『仲良し』『仲良くしましょう』と強要している国は、ありませんでした。そんな文化・風習は日本だけなんじゃないかと思います。

特殊な文化・風習です。

そんな海外生活のある私が、『仲良くね』と強要する日本文化・風習は、もうそろそろ終わりにして、「嫌いなら嫌いでも構わない」「嫌われているなら嫌われていても構わない」とするべきではないかと思っています。その方が自然です。

私自信、嫌いな人とは絶対に話をしません。

話したって、不愉快なだけだからです。関わり合いを持ちたくありません。

雰囲気でわかるほど私のことが嫌いですオーラをぶちかましているような人とも絶対に話をしません。

仕事上で、嫌いな人がいる場合は、必要最低限の会話にとどめ、上手にかわしたり、ときに、スルーしたりしています。それ以上は、絶対に話したり、関わったりしません。

相手に嫌われている場合も同様です。嫌われているのに、無理やり好きになってもらおうとか、無理やり仲良くしなくても良いと思っています。

相手が私のことを嫌いだという雰囲気を醸し出しているのに、こちらが、媚び諂う必要はないのです。

顔つきや雰囲気であきらかにわかるときってないですか?会話をしていても、そう感じることってないですか?

そんな人と無理やり仲良くしたって、意味ありますか?

今までの日本人は、『仲良し』を強要されていたせいで、『嫌いな人』『自分のことが嫌いな人』と無理やり仲良くしなくてはなりませんでした。

無理なんです。

私は無理なんです。

嫌いなら嫌いで無視しても良いと思いますし、自分のことが嫌いな人やそのような雰囲気を醸し出している人は無視しても良いと思います。

どうして、無理やり仲良くしないといけないのか、大人になっても、そんな日本文化の理解に困っています。

本当に間違った日本文化であり、良い方向に正すべきだと思います。

無理やり仲良くしようとして、精神的に疲弊したり、精神的にダメージを受けるよりも、仲良くしないという選択肢や、上手にかわしたり、上手くスルーしたりするという選択肢も考えるべきです。

嫌いな人に遭遇したときの選択肢として、次のような選択肢もあると思っています。これ以外の選択肢もたくさんあります。選択肢は、幾つかあった方が良いと思うのです。

  1. 嫌いな人は嫌いでも構わない
  2. 嫌われているなら嫌われていても構わない
  3. 当たり障りのない挨拶や会話にとどめる
  4. 上手にスルー
  5. ハイリスクを覚悟して、一か八か仲よくする努力をしてみる

仲よくを強要したり、仲良くしなければならない、なんてことはないのです。

自分のことが嫌いだと明らかに雰囲気でわかる人に対して、好かれようとか、仲良くしようとしても、所詮、相手は自分のことが嫌いなわけで、見せかけだけの仲良し何て、長続きしないし、どこかでつまづきます。そんな張りぼての関係なんていつか破綻します。

私なら、『仲良し』文化・風習で、つらい思いや悲しい思いをするくらいなら、そんな人を無視したり、スルーしたりして、上手に生きるすべを身に付けることを考えます

その方がよっぽど自分のためになります。

政治家のみなさん、文部科学省のみなさん、教育関係者のみなさん、いい加減に、ダメな教育や教えはやめたらいかがでしょうか!

まとめ

仲よくしましょうとか、仲良くね、なんて、文化・風習はいい加減にやめましょう。

内容のあるお付き合いが重要であって、無理に付き合う必要なんてないと思います。

精神的にストレスを感じてまで付き合うよりも、上手にかわす、上手にスルーする、そんなすべを身につけると便利だと思います。

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